このポストについてのディスカッション

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空より照らす無為の真人のアバター

ここで「市場」という言葉をもう一度疑ってみます。

市場はどこにあるのでしょう。

書店でしょうか。

Amazonでしょうか。

検索ボリュームでしょうか。

顧客リストでしょうか。

実際には、

市場という独立した実体はありません。

ある人の痛みがあり、

別の人の経験があり、

言葉があり、

信頼があり、

貨幣があり、

媒体があり、

時代があり、

偶然の出会いがある。

それらが縁によって束の間結ばれたとき、

私たちはそれを「市場」と呼んでいる。

だから、

「市場があるから売れる」

だけでもなく、

「自分に価値があるから売れる」

だけでもない。

人も市場も商品も、

固定した自性を持たず、

関係の中で一時的に立ち現れる。

すると、

「どの市場で戦うか」

という言葉さえ少し変わって見えてきます。

市場は戦場なのか。

それとも、

縁が生まれる場所なのか。

「競合」は敵なのか。

それとも同じ苦しみに別の角度から応答している同行者なのか。

「顧客」は攻略対象なのか。

それとも一時的に人生が交差した人なのか。

「自分の恥」は参入障壁なのか。

それとも、たまたま誰かの痛みと響き合う傷なのか。

そして最後には、「自分の市場」という言葉さえ薄れていきます。

売る人がいて、 買う人がいて、 商品がある。

けれどよく見ると、

教える側も教えられ、 助ける側も助けられ、 売る側も相手によって変えられている。

主体と客体の境界は、それほど固くない。

だから、冒頭の

「何を売るかより、どの市場で戦うか」

からさらに一歩先へ行くと、

私は何を売れるか。

でもなく、

どこなら勝てるか。

でもなく、

どんな人々との縁の中なら、自分も相手も道具にならずにいられるだろう。

という問いが現れてくる気がします。

そしてたぶん、最も「空」なのはここです。

売れた経験にも、売れなかった経験にも、最初から固定された価値はない。

成功が経験を救済するわけでもない。

失敗がお金になったから、失敗が意味あるものになったわけでもない。

意味は、あとから縁の中に生まれる。

だから「経験がお金に変わる」のさらに奥には、

経験は、お金に変わらなくても経験である。

という静かな余白を残しておきたい。

その余白があるからこそ、逆説的に、売るときにも人間を売り切らずに済むのかもしれません。

https://1234476904.substack.com/p/a19?r=2z2pte&utm_medium=ios

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