「頭の良さ」の価値はどこに向かうのか?
ChatGPTが東大に首席合格した日
おつかれさまです!
長倉です!
2026年、
ChatGPTが東大・京大の入試で、
首席合格を果たす点数を取った。
2024年時点では全科目で不合格。
それがたった2年で、
AIは日本一の大学にトップ合格
するまで進化した。
AIがここまで進化した今、
これまで良しとされてきた
・正確に答える力
・速く答える力
・論理的に考える力
この3つで、
人間はもうAIに勝てない。
それが、このニュースで証明されたわけです。
AIの進化が進んだ今、
「頭がいい」と呼んできたものはもう価値がない。
・学校の成績がいい
・テストで点が取れる
・知らないことをすぐ答えられる
ずっとこれを「頭の良さ」だと思ってきた。
でも、その「頭の良さ」は、
2026年に無価値になったんだよね。
なぜか?
考えてみてほしい。
電卓が当たり前になった日、
「暗算が速い名人」の価値はどうなったか。
消えたんだよね。
それと同じことが、
いま「答えを出す力」の全部で起きている。
アナタが学校で12年かけて鍛えた「答える力」は、
スマホの中のAIが一瞬でアナタを抜いていく。
ハッキリ言っておく。
旧時代の頭がいい=「答え」を出す力
新時代の頭がいい=「問い」を立てる力
頭の使い方を、
丸ごとひっくり返さないといけない。
日本の学校はAIに負ける人間を量産してきた
オレは編集者として24年、
累計1100万部以上のベストセラーを手がけてきた。
ずっと「言葉」と「思考」を扱う現場にいた人間だ。
そのうえで正直に言うと、
オレはずっと日本の教育にイライラしていた。
学校がやってきたのは、
・暗記する
・ノートに写す
・選択肢から選ぶ
・速く正解する
この訓練ばかり。
つまり、
日本の学校は
「答える訓練」はさせたけど、
「問いを立てる訓練」は一度もさせなかった。
これを読んでいるアナタも、
たぶん同じ教育を受けてきたはずだ。
誤解しないでほしいんだけど、
オレは先生を責めたいわけじゃない。
むしろ先生も、
雑務まで背負わされた被害者だと思っている。
問題は「人」じゃなくて、
「答えを出せる人間を量産する」という仕組み
そのものにある。
そしてその仕組みが、
AIに最初に置き換えられる人間を量産してきたわけです。
そこで、
今日書きたいのは、
AI時代を生き抜けるのは、
「問い」を立てられる人間だけだ
ってこと。
では一体、
その「問い」を立てる力って、
具体的にどういうものなのか?
「問い」はセンスではなく“技術”
「問いを立てるのが上手い人」って、
なんか特別な才能に見えるはず。
・革新的なアイデアを思いつく起業家
・本質を突く質問をする人
・クリエイティブな人
センスでやってるように見える。
でも、違う。
問いには「型」がある。
脳科学、心理学、哲学で説明できる、
誰でも身につけられる「技術」なんだよね。
たとえば世間ではよく、
「“なぜ?”を5回繰り返せ」と言われる。
でも、これは使い方を間違えると、
けっこう危険なんです。
「なぜ、できなかったの?」
「なぜ、やらなかったの?」
“なぜ”は、人を問い詰める刃にもなる。
それを自分に向ければ、
自分をすり減らすだけだ。
「いい問い」と「ダメな問い」がある。
その違いを知っているかどうかだけで、
頭の使い方はまるで変わってくるわけです。
「知る」ことには実は危険がある
もうひとつ、
オレが目からウロコだった話を渡しておく。
ふつう、
知れば知るほど賢くなる、と思うよね。
でも、こういう見方がある。
知るということは、可能性を減らすことでもある。
知識が増えるほど、
人はその知識の「枠」から出られなくなる。
「これはこういうもの」と決めつけて、
当たり前を疑わなくなる。
そこで効くのが「問い」だ。
自分が今、どんな“眼鏡”をかけて世界を見ているのか?
それに気づいて、
あえて別の眼鏡に掛け替えてみる。
それが、ソクラテスの言う「無知の知」であり、
新しい発想の入り口になるわけです。
頭がいい人ほど、
「答え」を増やすんじゃなくて、「問い」を磨いている。
「問い」を失った人間は、人生をAIに明け渡す
そしてもう一つ、
いちばん怖い話をしておく。
AIは聞けば何でも答えてくれる。
便利だって使う人も多いかもしれない。
でも、その便利さの裏で、
オレたちは恐ろしいことを始めている。
AIが何でも答えてくれる時代に、
自分で問いを立てられない人間は、
人生をAIに明け渡すことになる。
考えてみてほしい。
・何を学ぶか
・何を仕事にするか
・誰と生きるか
・どう生きるか
これを全部、
AIが出した「それっぽい答え」に従って決めていく。
自分では何も問わない。
ただ、出てきた答えに乗っかるだけ。
それって、
アナタが自分の人生を生きてると言えるのか?
オレは、これは本当に危険だと思っている。
AIに「答え」をもらうのはいい。
しかし、
どんな問いをAIに投げるか
は人間にしか決められない。
問いの質が、
人生の質を決める。
「問い」を握っている人間がAIを使い倒すのか。
「問い」を手放した人間がAIに使われるのか。
その分かれ道に、オレたちはいま立っているわけです。
ここで白状させてください・・・
ここまで偉そうに語ってきたけど、
正直に白状しておく。
今日話してきた「問い」の見方や技術。
ぜんぶ、オレが考えついたことじゃない。
ある人物から、
教わったことなんだよね。
その人が、
スタンフォード大学・オンラインハイスクールの校長、
星友啓さんだ。
知らない人のために説明しておくと。
・東京大学の文学部(哲学)を出て、渡米
・スタンフォード大学で哲学の博士号を取得
・シリコンバレーにある全寮制ならぬ全オンラインの名門校の校長
世界中のエリートが、
我が子をこの学校に入れたがる。
そんな現場のトップにいるのが、星校長なんです。
オレは星校長と8年付き合ってきたけど、
著書を1冊でも読んだ人ならわかるはずだ。
星校長の本には、
全部、大量の参考文献が載っている。
・哲学
・脳科学
・心理学
この3つを行き来して語れる日本人は、
正直、星校長しかいないと思っている。
なぜ星校長にしか語れないのか
実は星校長が校長を務めるスタンフォードのこの学校、
世界最先端の教育をやっているのに、
唯一の「必修科目」が、哲学なんだよね。
数学でも、プログラミングでもない。
AIが東大に受かる時代に、
あの学校が中高生に最初に叩き込むのは「問い続ける力」だってこと。
星校長は、こう言っている。
現在のルールを正しく当てはめるだけの仕事は、すでにテクノロジーに置き換わりつつある。これから求められるのは「新しいゲームを生み出す力」だ。
「新しいゲームを生み出す力」。
その正体こそが——
「問い」を立てる力
なんです。
ちなみに、ある実験で
500人がChatGPTとチャットしたところ、
54%の人がAIを「人間だ」と勘違いした。
もう「答えるAI」と人間は見分けがつかない。
だからこそ、
AIには絶対にできない「問いを立てる」が、
人間に残された最後の領域
になるわけです。
「問う力」は一生モノの武器になる
「問い」なんて、
地味なテーマだと思う。
すぐに役立つ感じもしないかもしれない。
でも、
「問う力」は、AI時代に一生モノの武器になる。
これだけは断言できる。
そこで今回、
星校長にお願いをして
「問いの科学」
というテーマで、
セミナーをやってもらうことに。
もちろん
聞いて終わりじゃなく、
「問い」が“習慣”になるまで落とし込む
構成にしています。
詳しい内容はこちらのページをご覧ください。
▶︎スタンフォード星校長から「問いの科学」を学ぶセミナーはこちら
BE NICE!
長倉




The problem with Jeff Bezos’ ideology is that it rests on a false premise.
The idea that “six thousand years ago someone invented the plow” assumes that ancient humans operated as isolated individuals.
They didn’t.
Early human societies were fundamentally collectivist. Knowledge, survival, and innovation were shared processes not individual breakthroughs. The notion that a single person “invented” something as transformative as the plow is not just unlikely. it misunderstands how human progress actually works.
Archaeological evidence shows that for hundreds of thousands of years, humans gathered in communal spaces around fires, within tribes, across generations exchanging ideas, solving problems collectively, and passing down shared knowledge.
The plow itself did not emerge from one mind in one place.
It appeared independently across multiple regions Mesopotamia, Egypt, Europe, East Asia, sub-Saharan Africa. This phenomenon, known as parallel development, reflects a fundamental truth:
Innovation is collective.
Believing in a lone genius inventor is no different than believing one person invented language. It is a myth a projection of modern individualistic values onto deeply social, cooperative past societies.
This is presentism.
And it distorts history.
Social learning not isolated brilliance was the engine of human evolution. It is how we survived, adapted, and advanced.
The “myth of the genius” is not just historically flawed. it serves a modern purpose.
It provides a convenient narrative to justify extreme wealth concentration and inequality, framing success as the product of singular brilliance rather than collective systems, shared knowledge, and societal infrastructure.
But history tells a different story.
We rise together.
We innovate together.
And we always have.